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ハァハァハァハァ…

男は右肩を押さえ足を引きずって走り続ける。
袖先より無い腕を見つつ、口の端より血の入り混じった涎を垂らし懸命に走り続けた。
上階の方で鳴り響くサイレンの音。
地下駐車場までははっきり聞こえないその音を背に己の逃亡用の車まで走り続けた。


まだだ…まだ再起できる。このデータさえあれば…
男は懐にあるデータディスクに触れ。唇をゆがめた。
半年前に計画としてとある企業の研究員を襲い、レネゲイドの研究データを奪い去った。
計画自体は男が所属していたセルが壊滅した事で頓挫したが、今日はそのデータの一端をちらつかせる事で札の継承試験までもあっさりと決まった。
まだ…まだ再起できる。死神の…王の追求すら逃げ延びた。
札の一員となれば、己の欲する地位も金銭もすべてが得られる。ファルスハーツに入る際に欲した欲求衝動を思い出し悦に至った。
今回は試験の通過は叶わなかったが…次回は……


「”永久に輝く黄金”」

がらんと人通りの無い薄暗い地下駐車場に。
長身の男が立っていた。仕立てのいいスーツを纏い。それに不釣合いの長剣を二振り。
静かに。──空間の温度が急激に上昇した。

これ、は。
男は戦慄した。
半年前に感じた──絶対的な恐怖。何をやっても無駄だ、と思ってしまう圧倒的な力。
何を模倣しても。何を踏みにじっても。届かない──太陽。


「データの破壊をさせてもらう」
いや、と自分の放った言葉を即座に否定し。”烈火の仮面”は告げた。

「貴様の黄金と俺の炎──どちらが強いか試してみるか──?」

”永久に輝く黄金”は袋小路になった己を奮い立たせ。金切り声を上げて。
血より──『鬼』を創生し。男に撃ち放った。
鬼姫より模倣されし『鬼』は巨躯を持ちて眼下の男を叩きつぶさんと拳を振り下ろす。
ハンマーをたたきつけたような音が地下に響き。蜘蛛の巣状のヒビが広がる。
埃をまじえた煙が広がり、周囲を覆い隠す。

はは、ははあははっははあはははははあはははっ!
なんだなんだ。たいした事も無いッ!見掛け倒しか。
あらゆるものを『模倣』出来る俺の能力ならば!
やはり敵などいなかったのだ!


ゆるやかに煙が晴れる。
”永久に輝く黄金”が目にしたのは。
頭二つ以上も違う鬼の拳を剣を交差して受け止めている── 一人の人間。
静かに燃えるその想いを受けて炎が燻っていた。

「あ、あ、は…ああ…ああ?」
間の抜けた声を出して”永久に輝く黄金”は一歩下がる。
馬鹿な、馬鹿な。力の強い鬼姫より抽出し模倣した特別製の鬼──従者だ。
ありえるはずが無い。ありえるはずが無い!

拳撃を切払い『鬼』を機械的に斬り捨てた男は。
飛来した大火──地獄の業火より模倣したそれすらもただ一歩踏み込み突き払う事で霧散させた。

”烈火の仮面”はわかっている。
如何に”永久に輝く黄金”が他者の能力を模倣できようが。
”永久に輝く黄金”自身の力──地力が増す訳ではない事を。模倣して得た鬼の使役や炎の操作ですら本来の繰り手より格段に落ちる事を。
つまりは”永久に輝く黄金”は他者の輝きのみに固執し、己自身を磨き上げる事を怠った。

鈍った黄金は自ら光を発する事は──無い。


驚愕し。足すくむ男に向き直り。
無造作に薙ぎ払った。

二分化されて命を失ったそれは地面におちる前に音も無く炎に包まれて消えた。




「どうやら僕は後始末だけでいいようだ」

”永久に輝く黄金”の遺体が在ったあたりに声。

「これで一応の辻褄は合った、かな。彼らに代わって感謝するよ。”烈火の仮面”」

転がっていた折れたデータディスクを拾い上げ。”牙狼”の王は言葉を紡ぐ。
手袋の上から持ち直すと”烈火の仮面”にほおり投げる。

「元々は君のところの物だろう」
「ああ」

『事象』が巻き戻り傷一つ無いデータディスクをスーツの隠しに戻し。
烈火の仮面は踵を返す。


データディスク。
意志持つレネゲイドの結晶体…賢者の石を複製するレポート。ある男のレポート。
義肢との情報リンクを円滑に行なう医療福祉目的。レネゲイドを障害持つものの生活におけるサポートナビにまわす。
各務と呼ばれる烈火の仮面が所属する企業はこうした医療のみならず第一次産業、軍事までも幅広く取り扱う。
だからこそこのレポートは──レネゲイドというものを介しての汎用性と危険性をはらんでいた。
レポートの記述者は黒瀬 新一、と短く記載されている。

──彼らの言うように人を作りかえることを真なる進化と呼ぶならば。変わろうとして歩む人の様は如何なる物であろうか。
Whatever you do will be insignificant, but it is very important that you do it.

レポートの冒頭に書かれている文面だけは読んだ事はある。
レネゲイドを悪しき病として治療すべき所を治療する。それが『彼』の目標だった。

それが、半年前のある時に研究所が襲われ。殺害されてレポートが奪われた。
ファルスハーツ一セルの仕業として確認され、複製された賢者の石を移植しジャームとして戦闘兵器に仕立て上げる計画を知り。
UGNと各務は共同して事に当たった。

しかし。レポートの行方だけはようとして知れず。
今の今まで破損して失われた、とされていた。


それが。今手の中にある。
擬似人格を精製し。人をサポート…作りかえる計画の欠片が。



”烈火の仮面”は立ち止まり。”牙狼の王”に頭だけ向ける。
背中越しにデータディスクを投げる。そしてそのまま奥に消えていった。



「それが君の答えなんだね。”烈火の仮面”」
瞳を閉じる。
データディスクは地に落ちる前に炎に包まれて消えた。
真実は告げられる事無く。消えた。

「彼はレネゲイドという鎖に囚われる自分の娘を救いたかっただけさ。その為に自らの全てを賭けた」
やれやれ、と溜息をつく。
残されたものは何らかの形で根付き、形をなす。それが『証』。
迷った筈だ。悩んだ筈だ。自分ひとりだけでは何も出来ないと絶望もしたはずだ。
それでも。このレポートの主は道を貫いた。意思に反し遺産が悪用されようとしたところを処分した。
だから。──さよならだ。
誰かに継がれる事で。その役目も終えた。

「今は君の選択が幸多きものとしてある事を人として祈るよ。神原恭平」



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