−10−

「たーいへんだったねぇ〜」
「でも面白かったよ。俺は」

簡単な事情聴取を終えて。
デパート内の『スプリンクラー暴発事件』にて服がずぶ濡れになった三人は早速買ったばかりの服に袖を通す。

俺──恭平は『いろぅり』とか書かれたTシャツを着てうちわで扇ぐ。残暑の季節で未だ夕暮れでも暑さが残る。
秋穂は白地に黒の入ったスパンコールTシャツを着て胸元に手で風を招き入れていた。
カジュアルなそれは活動的な秋穂に似合っていて着替えてやって来た時は「おおー。似合うなー」と棒読みを装った風。
スカートの端を摘んで「お褒め戴き光栄に思います。王子」とかおどけてやってきた時には「うむ苦しゅうない」といつもの距離で応対したものだ。

遅れて。
サキが恥ずかしそうにやってきた。白地フリル袖のカットワンピースに黒のレギンス。
いかにも”女の子”らしい風体になれない様子でもじもじしているが──似合わない訳が無い。ちょっとの間見惚れていたのは白状する。
「ど、どうですか…?」上目遣いで俺を見上げる。
俺は何か理性的に揺さぶられるものを感じつつもいまだ被ったままの帽子をぼふぼふと撫でる。
「似合うよ」
そう言った。

「なにそれー。恭ちゃん、なんかサッちゃんとわたしの時と態度ちがーうー」
「はいはい、ワロスワロス」
「あの…その…」


何気ない夏の日の夕暮れ。
何も無い日常。

さっきの事は『何も』無かったのだろう。
何も終わって無いけれどもうすべてが終わった後で。
俺のどうしようもない部分や、秋穂の屈折した想いや、サキの傷なんかを。
突如現れたあいつは容赦なく断ち切っていった。

人で無いから。
俺達がうじうじして。当たり前のものを当たり前と遠慮していえなかったものに。
冷徹に事実だけを突きつけて去っていった。

「君は誰かを幸せにしたいんだよ」

あいつはそういった。
何でもない事。
護る事で。戦う事で誰かを。──幸せにしたいと。思っているのだと。
それが過ちもして悔やんで悩んで。どうしようもなくても。それでも。誰かを。──そう。幸せにしたいのだと。
今在るこの日常がどんなに歪なように見えても俺にとっては幸せで。離せないものなんだって。
──認識しろ、と。

神原 恭平はどう傷ついても。どうあってもそうしたい、のだと。



なんだか。──涙が出てきた。
決して悲しいわけじゃない。
だけど。


「恭ちゃん──?」
「兄さん──…」

急に立ち止まった俺を心配そうに二人が振り返り眺める。

西尾。そして『あんた』。
お前らは助けられなかったから。後悔している。悔やんでも悔やみきれない。
これまで色々在ったし。これからも色々あると思う。

けれど。──だから。

「俺さ。──幸せになるよ」

どこか優しい風が吹いた。
夕暮れの空遠くで朧の月が見えた。

「俺が幸せになりたいから。──幸せにするよ」
──俺の人生を。俺自身。幸せにするよ。

宣言。もういなくなって残暑の彼岸の向こうに行ってしまったあいつらに向けての。宣言。
何をじゃない。出来ないじゃない。
──やるんだ。
お前らが出来なかった事を俺は積み重ねていくよ。絶対に。

宣言を終え。下に向けていた視線をふと。二人に向けると。

耳まで真っ赤になって震えていた。
え。俺なんかした?

「あ、あわわわあわあわわわわわ」
「きょ、恭ちゃん──ッ!?」


なんか二人で抱き合ってますよ。おーい。
俺の話をきいてくださーい。


「そ、それってそれってそれってー…」
「こんな所で…こんな時に……はぅ」

おーい。





後日。
弟的存在に今回の顛末をさらさらと報告してみた。
「女心わかってないですね。恭平さん。ちょっとと言わず盛大に豆腐の角に頭打ちつけて死ぬといいですよ」
慈愛の笑みを浮かべているだろう声で言われた。キィ。イケメンロコめ。ちぬといい。




もうすぐ秋になって。そして冬が。春が来て。
また夏が来る。

それでも。

俺は今の日常にしがみついて生きているだろうし。

俺の心を断ち切った牙狼の王は。
ずっとずっと”遠く”で。屍の山を気づきつつも。
死に向かって駆け抜けているだろう。


昨日と同じ今日。今日と同じ明日。
繰り返し日々はうつろう。
それでも世界はもう既に変貌している。

そんな世界の片隅の話。

何でもなかった邂逅。
でも俺はあの日の事は忘れ無い。
いつかあの王に俺はこれだけ幸せになった、と拳一杯の幸せをつきつけてやる。

ひと夏の思い出。サマータイム。





[BACK] [NEXT]