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「おっそいなー」

俺──恭平はぼやくと。空になったオレンジジュースのカップを捨てる。
相槌を打つでもなく。秋穂は今日の『戦利品』の検分をしていた。持っていたのは全部俺だが。

「秋穂」
「んあ?」
「付き合ってもらって悪かったな」

元々は家族である自分の仕事で。秋穂はその付き添いだったのだ。
それをきちんと下調べしてくれて計画的な行動を促してくれた。頭が上がらない。

「いいよいいよ。サッちゃんの着せ替えたんのーしたから」
「おまえなー」
くふふーとでもいいたそうな笑みを浮かべつつ。秋穂は満足そうに頷く。

「いやー。諸事情によりお見せできないのが残念な服装とかもあったからねー」
「れっどかーど。青少年の妄想に火をつけるような言動はやめなさい」
これまたいやんいやんとでもいいたそうに首を振る秋穂をチョップで黙らせつつ。俺は溜息をつく。

いつもの距離と何時もの雰囲気。これが俺にとっては心地よい。
気をつかわなくてもいい関係というのは素晴らしい、とはつくづく思う。

だが。
それだけでいいのか。俺の中の『俺』が囁く。

一つは紛れも無い欲望から。
一つはどうしようもない後悔から。

それを押し止めるのはいつになっても意気地の無い俺。


「恭ちゃん」「秋穂」と呼び合い続けてこの年になるまで10年以上の幼馴染。
世間一般の下世話的には付き合ってる初々しい学生と言われても過言ではないが。実の所は違う。

口では強がっていたけれど。俺は鬼──オーヴァードだから。人である彼女とは『違う』と思っていた。
距離を取り。時折襲ってくる衝動に耐え。自らを律し。深く関わる事を避けた。
本当ならそんな態度では思春期の訪れと月日の流れにより二人とも自然に離れていった筈だが。
何の因果か、今の今までその距離をつかず離れず保ってきていた。お互いに幼馴染という立ち位置を崩さなかった。

ある意味空気といってもいい。

だが。先日に起きた事件で。ある意味護れなかった俺の所為で。彼女もまた──オーヴァードとなった。
だから。自分とは違うから、と言う意味では彼女を遠ざける理由にはならない。
ここで『遠ざけたい』のか、と言う話になるといやだ、と思う俺がいる。

失った親友の事で。思った事がある。
何を思っているか。何を考えているか。
お互いにもっと深く自分の想いを告げていれば。あんな結末にならなかったのじゃないかと。
──思う。

眼前で呑気そうにゴーヤジュースを啜る幼馴染の顔を見つつ小さく溜息をつく。

弟的存在に俺今度ダブルデートするんだいいだろー、でもどうしたらいいー?的な報告を電話にてしたところ
「今頃贅沢な事で何言ってるのですか。後、恭平さんは神経的には鈍感すぎます」
と蔑んだ声で言われた。ロコ。テメー夜道の晩は覚えてろ。カツ丼三食盛りとかしてやる。


最善策なんて無いのだ。わかっているけれど。
恋愛なんてのは俺には最も無縁で無関係だと思っていた話だから。何時にたっても結論なんてでない。
案外、サキが席を急に外して中々帰ってこないのも。この問題を解決させる為に二人にした、と勘ぐる事もできる。

──プレッシャーが!


「あ、あきほー」
なにー、とでも言いたそうに瞳をこっちに向ける。こいつわかってんのか。
今ながら。中学上がる時に三浦さん、と俺が言い換えようとした時。本当に悲しそうな顔をした事をふいに思い出した。
距離が離れるのは辛い。でも。関係そのものがなくなってしまうのは──もっと辛い。
なんでもない、と言う風に頭を振る。

「恭ちゃんはサッちゃんの事好き──?」
「んあ?」

気を抜いたときで聞き逃してしまいそうな調子だったが。俺の耳には届いた。
で。返答に少し手間取った。丁度そんな事を考えていたからだ。

「いや。ほら。遠縁の子なのに熱心に世話やいてるからさ。あ。変な意味じゃないよ」
「妹みたいなものだからな。親父もおふくろも俺そっちのけだし」

秋穂は軽く首を捻りながら。じっとこちらを見つめてくる。

「それだけ──?」

なんだか、悪い事をしているような気がして。ふいに冷や汗が出てきた。
ああ、と短く答える。


誤魔化した。昔、事情を説明したけれど。やはり。
まだ言葉にして告げるにはこのトラウマだけは克服できていない。

『あいつ』を護れなかったから。
代用として護り通したいなんて。
あいつにも。サキにも。失礼にも程がある。

「そう」
なんだか少し不機嫌な様子で秋穂は立ち上がる。俺も慌てて空になったトレーを持つ。
それにしても昼食にしては空いている時間だ。人一人っ子いない──。

ちょっと待てよ。
自分たちがこのスペースに入った時はハンバーガー片手に読書中の人や子供連れなんかがいたはずだ。

それが──いつの間にか消えている!


「恭ちゃん……」
秋穂がぎゅっと俺の裾を掴んでくる。幾らオーヴァードとなり超常の力を得ても。その振るう術を彼女は知らない。
不安に思うのは仕方無い。

空気がざわざわと鳴る。
ゆるやかに奥より塗りつぶすような”赤”が広がっている。
その周囲には気を失いそれにとりこまれている人影。《ワーディング》領域に取り込まれた人たち。

「何処の誰だか知らないけれど…碌な奴じゃねぇな……」
落ち着かせるように秋穂の手を引いて。荷物を置いたままでゆっくりと発生源の元に。

そこには。
四肢に大きな穴を開けて血を流して倒れ。
虚ろな目をして俺達を見上げているサキが居た。


そして。
それを足で弄んで悦に至っている男が一人。
何処かで見た顔だ。

「やっとお出ましか。遅かったな。枷つくもの」
そいつは強くサキを蹴り飛ばす。壁に滑っていって音を立てて止まった。呻き声すらなかった。

「てめぇッ!」
声を荒げて叫ぶ。言ってもどうにもなら無いだろうが。
実際は踏みこんでいたのだが、秋穂が手を握っていたから。押し留まったに過ぎない。

「そう邪険な声を出すなよ。わざわざお前の身の安全を護ってやったというのに」
「……なんだと?」

冷静になれ。神原恭平。
まだ。『妹』は。生きていると。──信じるんだ。

「こいつは、な。お前の命を狙ってたんだよ。お前の中にある鬼の魂。レネゲイドの結晶。そいつを狙ってな」
くくくっと嗤う。
「お前は感じた事はなかったか。共に暮らす中で。お前を執拗に狙うその眼に。鬼の眼に」

少し。傷ついた。

「あいつは有名な所の出身でな。命令には絶対。どうした。その戸惑いは覚えがあるようだな」

「お前の命と同化した鬼の魂とその身を持って真なる鬼と成す──古来書譲りの御伽噺だが信憑性がありそうな話だろう?」

はは。

「鬼部鎖希はな。お前を殺す為に。人の面を被って。潜伏し。お前の元にいたんだ」

はははははは。

「それを始末してやった。感謝こそすれ。恨まれる話でも無いな」
ゆっくりと男はナイフを取り出す。肉厚のナイフ。

あいつは。俺を裏切っていたんだ。
だから。ころされるんだ。いい気味だ。

奥にいる自分がその負の感情に──反応する。



────それは嘘だッ!



あの子は泣いていたじゃないか。一人ぼっちで。
あの子は喜んでいたじゃないか。自分たちが家族だと言って。

その笑顔や泣き顔までも偽りだなんて。神原恭平は──信じてはいけない。
西尾琢也をそう信じたように。信じ通さなければならない。



「駄目ーッッッ!」

響く秋穂の声。
俺は反射的に動き振り下ろされようとしていたナイフを蹴り飛ばす。
男は予定していた行動を邪魔され。憤怒の感情のまま手を声を放った秋穂に向ける。
伸ばした五指の先──爪が急速に伸び。秋穂を貫かんとする。




だからどんな理由があっても。

『護らなければ』ならない──ッ!



俺は反射的に秋穂を庇うように背を向けて立ち塞がる。

衝撃。
赤い血が舞い。

ごぼりと血を吐いた。


目の前が赤く染め上がっていく。


こんなに簡単に。俺は死ぬんだ──。


ああ。きちんと 言えばよ かったかな。
そんな冷静に。思ってしまった 自分が少し おかしく なった。






ほんとうに 死ぬ ?


自分に出 来ることを


──何も してもいないのに。



われおもうわれあり。



ザッ。手に、足に力をこめる。
『生』に踏みとどまる。秋穂を抱え込むようにして抱きしめる。彼女の恐怖から来る震えと人の温もりが感じられる。
それで充分。それで事足りる。

腰のベルトポーチに無造作に突っ込んでいた『拳銃』を逆手で引き抜き一回転。
標的──男に一度銃口を向ける。それが儀式。

”この痛み持ちて──おまえを祟り殺すという”

”儀式”

そして拳銃を自分の胸に向けて引き金を弾く。


放たれた銃弾が己の命を削る。
これで更に『死』に近づく。
寒い。怖い。痛い。寒い。辛い。寒い。
──死んでしまうのが怖い。

生と死の狭間の引き伸ばされた時間と空間の中で思考する。
何を。何で。何をすべきか。

出来ないという恐怖を死の恐怖で乗り越えろ。
恐れるな 畏れるな 怖れるな


「あはははははははははははははははははははっ」

声を出せ。
更に。生きている限り。
生命の続く限りの大声を発しろ。

そして。自分の大切なものを傷つけたものを。

ぶちのめせ。

「ははっ」


己の生命が、俺自身の恐怖が。俺自身の武器。
『死』は近くて怖いが。腕の中の人の温もりがあれば。
まだ戦える。立ち向かえる。

少し名残おしそうに『人』の俺が秋穂を手放す。零れ落ちる生命と裏腹に意識はクリアになり、力の奔流が胸の奥より湧き出る。
足元の床を蹴り砕き。男に向け加速する。

その勢いのままにやけた笑みを浮かべたままの奴を大上段から殴り飛ばす。
アクロバット風に二転三転し、小物店舗の中ほどまで止まる。

よろよろと立ち上がるも見るも無残なひしゃげた顔の奴の所まで拳銃を吊り下げたまま歩いていく。
未だ何が起こったかわからないような奴の腹に蹴りを叩き込み、くの字になった所に再度顔面に拳を叩き込んだ。
未梱包の山の中に突っ込んで濛々と煙を立てる。

「立てよ」

いしきが もってい かれる

立っているだけで。そうそれだけでもう『死』にそうなのに。
俺は悠然と倒れて動かないそいつを見下ろしながらそう告げた。


ここからは鬼の狩の時間だ。
つぐないを、させてやる。


煙の中から振るわれた大剣を素手で受け止め。掌で打ち砕きながら。
告げた。


「お前は俺を殺していいが。──お前に殺されてやる義理なんてねぇんだよ。餓鬼が」


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